小説のこと

『泡沫少女とイデアの少年』発売からもうすぐ一ヶ月が経とうとしています。

今やボーカロイド楽曲をつくっていた人間としては化石のような僕ですが、それでも、僕のことを音楽をつくる人間だと思われている方が多いことも知っているので、ツイッターでギャアギャアと騒ぐように小説の話もしにくいわけです。

というわけで、更新頻度も低く、アクティブビューワーが3人くらいであろうこの相当マニアックなブログにて、備忘録ならぬただの独り言のようにひとつ、残しておきたいと思います。

さて、何を独りごちたいのかというとですね、果たしてこの小説が、皆様に楽しんでいただけたかどうか、そればかりが僕にはとっても気がかりなのです。

僕は文字を読むのが遅く、一冊の小説を読み切るのに一ヶ月近くかかってしまうことは少なくありません。そして、文字を自分の力で読み解き、景色を想像し、感情を重ねるというのは、とてつもない労力が必要になります。

ただの持論ですが、小説は、コンテンツと読者の立場が同じ高さにあると思っ
ています。

コンテンツは読者に面白さを提供する代わりに、読者はコンテンツに労力と時間を提供する。
どちらがどちらを支配できる関係ではありません。
そのコンテンツは、読者から必要な労力と時間を提供されなければ、面白さを提供することをやめます。
逆に、読者はそのコンテンツから必要な面白さが提供されなければ、労力と時間を提供することをやめるわけです。
お互いがピストルを向け合っているとも言えますし、お互いが共生しているとも言えます。

何分大袈裟なようですが、意識を向けなくとも多少を享受することのできる映像や音楽と比べてみると、あながち言い過ぎではない気がしてくるかと思います。

それで僕は何を言いたいのかというと、小説を読むことは大変なわけです。
面白くなければ読みたくないし、読みたくなくなったら読まないわけです。

コンテンツの面白さを評価する上で、いろいろな尺度があるとは思いますが、殊、小説に関しては、それを最後まで読んでしまえたかどうかというのはひとつの面白さの純粋な指標であると僕は考えています。

小説『泡沫少女とイデアの少年』が発売されてからもうすぐ一ヶ月が経とうとしています。

果たして皆様がこの小説を最後まで楽しんで読んでいただけたのだろうか。
はたまた今も楽しんで読んでいただけているのだろうか。
それだけはやはり気になるものです。

皆様の貴重なお時間と労力、そして貴重なお金までいただいているものです。
そこまでこの小説に提供してくれているというのであれば、この小説が平凡であろうと駄作であろうと、楽しませなくては小説というコンテンツの意義が破綻してしまいます。

どうか皆々様が、『泡沫少女とイデアの少年』の世界を最後まで楽しんでいただけるような物語でありますように。と願って止まないこの頃です。
そして、いつまでも楽しんでいただけるような物語でありますように。




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.18 2016 雑記 comment0 trackback0
  

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Author:ゆっけ




yukkedoluceとしてボカロを中心に楽曲制作してます。
拙い音ですが好きになってくれたらうれしいです。
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